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イタリアいなかまち暮らし

イタリアいなかまち暮らし

私と夫について

私と夫について

出会う前の経歴

夫の経歴(実際はもっと複雑だが全部書くと長すぎて読んでる人が寝そう)

カナダにて、イタリア移民の両親の元に生まれる
11歳:両親の出身地、イタリアのモリーゼ州に家族ごと引き上げる
学校で2年遅れの学年に入れられる
17歳:工業高校に入学(中学で1年落第しているので3年遅れ)
   (イタリアの高校は5年制)
22歳:中退、1年の兵役義務を勤める
    料理人見習いになり、レストランを転々とする
26歳:アブルッツォ州の沿海小都市でシェフ兼オーナーとしてレストランを開く
32歳:レストランを閉業。出稼ぎ放浪の旅にでる
    イングランド、ウェールズ、カナダ、アメリカ合衆国等をコック業をしながら巡る
その後:イタリアに戻り、ボローニャでセルフサービスレストランに雇用される
    有給でタイ国に遊びに行き私と出会う


私の経歴

大阪府のニュータウンで生まれ育つ
12歳:家の都合で1年間イギリスに住む。
    現地の学校に通うが英語は全然話せず
18歳:中流私立大の某社会系学部に入学
    英語の小サークルに入るものの、部室で遊んでばかり(私だけです。他の人はまじめでした)
24歳:専門科目に興味が持てず怠け遊び暮らすばかりで2回留年の後卒業
    理工系の会社でアルバイトのアシスタントとして働き始める
28歳:小金がたまったので念願のアジア放浪にでる
    放浪のはじめのほうでいきなり相方と出会う

旅歴

相方:旅経歴が長すぎてややこしいので行ったことのある国を列挙
フランス、ドイツ、オーストリア、スペイン、ポルトガル、イギリス、スロベニア、モロッコ、カナダ、アメリカ合衆国、メキシコ、ガテマラ、タイ、オーストラリア

私:旅経歴
(中学のとき、親と)イギリス、フランス、スイス、ドイツ、オーストリア、イタリア、オランダ
(大学の夏休み、友人と)中国、韓国
(大学の春休み、友人と)オーストラリア、グアム
(社会人になって休暇で)ラオス、ベトナム
(仕事をやめて、5ヶ月間)タイ、ラオス、ベトナム、カンボジア

出会ってから、二人で
2002年秋:イタリア、スイス、シンガポール、マレーシア、日本
2006年年末:中国上海
2007年夏:フランス
2007・08年年末年始:インド、ネパール

出会ってから~ヘタレな愛の話~

アユタヤ:
出会った場所はアユタヤの安食堂。なんかのきっかけで話し始めたら止まらなくて5時間ぐらい話した。次の日も顔をあわせたらなんとなく離れがたくて、ずっと一緒にいた。
さてその4日後に奴が帰国するまで何があったかは省略するとして(笑)「また何ヶ月か後有給とって来るから連絡先くれ」というのでメルアドを教えて、電話番号もらって、別れた(涙)

チェンマイ:
それから3ヵ月後、本当に来ることになった。私はベトナムからタイのチェンマイへ戻って合流、一緒にメーホンソン県をうろついた。15日後、また涙の別れ。

ボローニャ:
私は帰国してしばらくぶらぶらしていたが、我慢できずにボローニャの奴の元へ。5ヶ月一緒に暮らし、奴は仕事を辞めて日本で職を探すつもりになった。

マレーシア:シンガポール航空で日本に行く途中1ヶ月マレーシアで観光。

大阪:
とは言っても奴は日本語もできず、私にとっては右も左もわからない業界で、すぐに職が見つかるわけでもなく、奴は早々にあきらめてイタリアに戻りレストランを開くと決意。私は日本に残り、またしても涙の別れ。

グリョネーシ:
3ヶ月ほどしてから私がイタリアに行く予定だったが1ヶ月と持たず予定を早め、奴の故郷の実家へ行き、同居する。

ラクイラ:
そのうち出発の準備も整って、奴が前から狙いをつけていた、景色のいいラクイラという町にレストランを開くべく移住。しかし開業地のための土地が簡単に見つからず断念。私はビザ切れで泣く泣く日本へ。またまた別れ。

カンポバッソ:
3ヶ月して舞戻り、今度はカンポバッソで以前と同じ目的で暮らし始める。しかしまたしても土地購入が難航しつつ、私の3ヶ月の滞在期限が切れてさらに数ヶ月なにも決まらず。

もともと私も奴も、「一緒になるのに結婚という形態は必要なし」という意見が一致していて、「レストランを法人で開き、私を雇用して滞在許可を申請する」という方針でそれまで粘ってきたのだが、「どうも結婚するより他に一緒に暮らす手はなさそうだ」という雰囲気が重く二人にのしかかってきた。そんなとき、両親からイタリアに遊びに来るという連絡がくる。せっかくお互いの両親がそろうわけだから、この機会を逃すわけには行かないと結婚を決める。
2004年夏、グリョネーシの町役場で結婚。イタリアでは式の場として教会を選択しない場合、役場で式を挙げるのが普通。で、町長さんの前で結婚を誓う。
次の日同じ役場で結婚に伴う滞在許可書を申請、晴れて合法滞在の身に。

その後カンポバッソ市内に賃貸物件を借りて改装を始め、これまた1年もかけて2005年10月、やっとオープン。二人して無職の身に終止符を打った。


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